ヨチヨチ母日記

アラフォーで妊娠・出産した母の日記

[出産体験記⑤]母乳ブートキャンプ

前回の記事→[日赤医療センター出産体験記④]出産・吸引分娩 - 38歳高齢出産ブログ

日赤医療センター 周産母子ユニット

生まれたばかりの赤ちゃんはガッツ石松に似ているという話を聞くけれど、うちの息子は田中邦衛みたいなアッサリ顔をしていた。後日、新生児室に並ぶ赤子たちを見ても、やっぱりみんなおっさんに似ている。逆におっさんが赤ちゃんに似ているのかもしれない。

出産当日は頭はハイになっているけど体は疲れていて、眠ろうと思うのになかなか寝付けなかった。生まれたばかりの赤ん坊があまりにも静かなので、たまに息をしていないのではないかと心配になって、がばっと起きて確認した。何度かの「ガバッ」→「あ、生きてた…」を繰り返し、ようやく眠ろうかなと思った頃、助産師さんがやってきた。

「たぬ木さーん、おっぱいあげてみましょうか」

おお、授乳ね、授乳。会陰切開の傷がズキズキと痛んで普通に座れないので、ドーナツクッションをお尻に敷いてヒィヒィ言いながら起き上がる。このときは会陰切開の傷の痛みなのだと思っていたが、どうやら出産の時点で痔になっていたらしく、その痛みがMIXされてとにかくあちこち引きつれるような痛みだった。

産むまで授乳というのは自然とできるものなのかと思っていたけれど、母も新生児も慣れていないのでうまく吸うことができなかった。何度やっても乳首を奥までくわえさせるというのが難しいのだ。ゴム手袋をはめた助産師さんが「ちょっと失礼しますねー」と言うなり半ばぐいっと赤子の頭をつかみ、口を大きく開けたところで、ばくっと乳首をくわえさせる。くわえさせるというか、喉の奥につっこむというほうが正確だ。そ、そんな強引でいいんですか…と呆気に取られるが、こうしないと浅飲みの癖がついて乳首が痛くなってしまうのだそうだ。

その後も母乳を知り尽くしたプロ、日赤が誇る助産師たちが2時間に1回はチェックにやってくるようになった。最初のうちは私が高齢初産のため要注意人物指定されているのだろうかと思っていたのだが、同室の若い産婦にも同様にやってきていたので、どうやらこれが通常の間隔であるらしい。

授乳時には配布されたノートに左○分、右○分と書き込む決まりになっている。うんちやおしっこの記録も取った。このノートを後で助産師が見て、排便・排尿・授乳の間隔で異常がないかチェックするのだ。 

24時間母子同室、母乳完全推奨。ベビーフレンドリーではあるが、ママには全くフレンドリーではない。これからが母乳ブートキャンプの始まりである。

母乳講座

f:id:tanukisoba54:20190112010547j:image

翌日の朝、授乳室にて母乳講座が開かれ、授乳ポジション、乳首のくわえさせ方について再度レクチャーがあった。しかし出産当日、貧血でヘロヘロな上に息子の夜泣きに翻弄された私はぐったりしており、超テンションが低い人間として参加することになった。

他の参加者たちが自己紹介を始めると、皆口を揃えて「大変だったけど赤ちゃんの笑顔を見ると頑張れる」などと言っている。笑顔なのは嬉しいからじゃなくて生理的微笑なのでは…と心の中でツッコミを入れたが、野暮すぎるのでさすがに言えなかった。

その後の自己紹介を聞いていても、陣痛から30時間以上、切迫早産での入院を経て帝王切開など、武勇伝大会の様相を呈してきた。皆、人生最大の山場を乗り切った後で、ランナーズハイならぬ産後ハイになっているようだ。自然分娩で3時間40分という私は武勇伝としては最弱な部類であった。

後日夫にそれを話したら「神様も我慢できる人にしか試練を与えないんだよ。この人はこれぐらいで限界かな?と早めにしたんじゃないの」ともっともらしいことを言っていた。失礼な。

即身仏ならぬ即身乳

1〜2時間おきに授乳を行うのだが、子が吸う力がまだ弱く1回の授乳に30〜40分はかかってしまう。日々起きている間はほぼ授乳をしているという生活になり、授乳ポジションやら搾乳のことで脳のCPUの90%が占められており、乳を出す前の自分が何者だったのかさえ思い出せなくなってきた。乳を吸われているうちに自分の存在自体がランプに吸い込まれる魔神のごとく消えてなくなっていくような気がした。 

子を見つめる母、乳をふくんでまどろむ赤子。はたから見ると幸せな親子の光景なのだが、母乳が血からできているということを考えてみていただきたい。毎日成分献血しているようなもので、体の栄養素はじゅうじゅうと吸われ、頭はぼんやりとし、貧血でフラフラし、白髪とシミだけが増えてくる。水分が慢性的に不足しているためコンタクトレンズをすれば目がやたら乾く。だんだんと目の前で乳をふくむ我が子が吸血鬼のように見えてくる。

川上未映子の妊娠・出産エッセイ『きみは赤ちゃん』には、「即身仏ならぬ即身乳」という名言が出てくる。この言葉通り産後3ヶ月くらいは「乳人間の乳人間による乳のための生活」と言ってよい。己のレーゾンデートル(存在意義)は乳なのだ。

それまで身体の中でもっとも敏感な箇所であった乳首、それが吸啜(きゅうてつ)がド下手な新生児によって四六時中力一杯吸われるものだから痛くならないわけがない。 私の乳首は摩耗のあまりガサガサとひび割れ、血が滲んできた。授乳時間が憂鬱で仕方ない。

助産師さんに授乳が痛いと相談すると「そうですねえ、いま辛いかもしれないですけど、すぐ慣れて大丈夫になりますから」という回答。日赤では乳頭保護クリームのピュアレーンが自販機で売っているということだったので、産後の体でヨレヨレになりながら買いに行くことにした。こんなニッチな商品が深夜、暗がりの中で光る自販機に並んでいるというのは、かなりシュールな光景だった。とりあえず部屋に戻ってピュアレーンを塗ると、翌朝にはいくらか痛みがマシになったような気もした。

深夜、授乳室で泣く

3日目にはシャワーを浴びられるようになった。日赤では新生児の検査やシャワーの間はナースステーションに預かってもらうことになっている。息子のコットを見送ると緊張から解放されてほっとした。髪を洗い、汗だくだった体をお湯で洗い流す。温かい。洗面台の鏡をおそるおそる見てみると、いやいや嘘でしょと思うぐらいお腹がぽっこりなままだった。本体(息子)、出てるよね。胎盤も出たよね。なのにこの腹は一体…!? 私の腹は膨らんだまま、下にたるんだようになっているのだ。お腹ってすぐへこむわけじゃないんですね…本当に衝撃だった。

ベッドに戻りスマホをいじると、いつもの日常が戻ってきた感じがした。「おかあさん」ではなく「いつものわたし」に戻る。ああ、ずっとこうしていたいなあ。もう何もしなくていい子どもに戻りたい。でも、もう二度と子どもに戻れない。産んでみて気づいたけれど、私はずっと子どものままの大人だったんだな。自分のことだけしていれば良い子ども。38歳にもなって子どもというのもいかがなものだけど、24時間誰かを死なないように守らなければいけない、養わないといけないというような経験がいままでなくて、新たに生まれた責任は息苦しくさせていた。あんなに楽しみにしていたのに、私はどうして子どもがいなくてホッとしてしまっているんだろう。母性本能がないのだろうかと不安になる。

息子は昼夜問わず「エッエッエ…」と泣き続けていた。 夫が面会に来ている間は任せて仮眠もできるが、夜になると二人きり。同室の方の迷惑にならないようにと、夜に泣き始めたらコットをガラガラと押して授乳室に向かうようになった。授乳室では同胞(夜泣きママ)が同じように集っていたけれど、大抵は10分ほど授乳したら退室していく。しかし息子は授乳後もこれでもかと泣き続け、私のほうは疲労困憊、半ばノイローゼのようになってきた。泣く→授乳→おしっこ・うんち→泣く→授乳の繰り返しを延々と続けていたとき、息子のおむつがゆるかったようで、水っぽいうんちが授乳クッションにべったり漏れてしまった。あわててカバーを外して、再度おむつを替えようとしたとき、私は泣いていた。産後のホルモンバランスが崩れたせいなのか睡眠不足が続いたせいなのかわからないが、自分でも思ってもいないところで涙が出る。授乳室には深夜でも助産師さんが見回りに来ていて、母親たちの話に耳を傾ける。この日は一人涙したが、翌日にはウンウンと話を聞いてもらった。

最初の2日間はなかなか量が出ず、体重も増えなかったのでミルクを足したいと訴えてみたが、「赤ちゃんは手弁当で生まれてくるので1日2日ご飯がなくても大丈夫です!」と押し切られる。その言葉を信じてよかった。3日目には私の乳はぼたぼた滴れるようになり、乳首をつまむとビューっと放射線状に出るようになった (射乳というらしい)。

私の乳は大量生産型だったらしく、入院中も助産師さんから「本当に初産ですか?すごい!」と賞賛された。ほかに褒めどころのない私はちょっと嬉しくなっていたが、乳というのはやっかいなもので、作られすぎても乳腺炎になったりトラブルのもとなのである。

入院3日目には母乳外来を強くすすめられ、1週間後に予約をしておくことにした。母乳外来は1回3500円と高額で、任意なら別にいっかなーと思っていたのだが、そこまでおっしゃるのであれば…という感じで予約することにした。