ヨチヨチ母日記

アラフォーで妊娠・出産した母の日記

[出産体験記④]出産・吸引分娩

前回の記事→[日赤医療センター出産体験記③]陣痛やばい - 38歳高齢出産ブログ

分娩室に移動してから約3時間、何度かの内診(膣に指ツッコミ)を経て、頑なだった子宮口がようやく10センチになり、ベテラン医師と研修医が3名で登場した。天井にあった手術用ライトが点けられ、急に部屋が眩しくなる。足は大きく開脚した状態で足置きに置かれ、手でサイドにあったバーを握るように指示される。それまで陣痛が来ても「息を逃してー」と言われていたのだが、ようやく「いきむ」フェーズに突入したのだ。

隣にいる助産師さんの「次に陣痛が来るタイミングで思いっきりいきんでー。せーの!」という声にあわせて、ふんぬー!!と顔を真っ赤にしていきむ。いきむときに尋常じゃない痛みに腰が浮いてしまい、なかなか力を込めることができない。手はバーを握り、足は踏み台に、腰はしっかりつけ、目線は助産師に、タイミングをあわせていきむ。書き出すと普通に思えるが、この時の私は過去自分が体験した中でもぶっちぎり、最大の痛みと戦っており、複数のことをきっちりやるなんて不可能なんである。

何度かいきみを繰り返したあと、どうやら私の酸素レベルが下がったようで、マスクを付けられた。

「たぬ木さん、赤ちゃんいま苦しいサインが出てるから、早く出しましょうね」

赤ちゃん苦しいサイン…おお、そういうの『コウノドリ』に出てきた!本当にこういう言い方するんだな。リアルコウノドリを聞けてちょっと嬉しくなっていたとき、ベテラン医師が何やら横の研修医たちに指示して準備をはじめた。なかなか進まないため、会陰切開をして吸引分娩に切りかえることになったのだ。

会陰切開は痛いと聞いていたので、できればやりたくなかったけれど、この痛みから解放されるためなら会陰のひとつやふたつくれてやらあ!というモードに突入していた。

デリケートゾーンであるはずの乳も女性器もこの部屋では遠慮なく丸出しにされ、切られ、そしてそれを自分自身も不思議に思わなくなっていく。慣れって恐ろしい。

切開する前の麻酔注射が割と痛いが、おかげで切開自体はサクッと済んだ。お次は吸引である。

小型の吸引カップみたいな機械が登場し、膣の中に入れられる。カップを赤ん坊の頭に付けて、思い切り引っ張るというかなり原始的な方法だ。

よし、今度こそ。フンヌー!!と陣痛の波にあわせていきむと、股の間からズリっと生温かいものが出てきた。フミャーフミャー。ついに息子誕生の瞬間である。陣痛開始から3時間40分、初産にしては早いと褒められた。

子が出てくる直前に私のTシャツはばっとめくりあげられ、乳が丸出しとなった。出てきたばかりの赤子はカサカサしたブルーの紙で血を拭かれ、わたしの胸の上に乗せられる。カンガルーケアというやつだ。生まれたばかりの息子は生温かく柔らかく、私の胸の上で頼りなさげにモゾモゾと動いていた。目は固く閉じられ、真っ赤な土偶のような顔をしている。

この10ヶ月、赤ちゃんがお腹にいるとは見聞きして知っていたわけだけど、こうして目の前に実物を抱くと、ああ、本当に小さい人間入ってたんだなあ…と自分の身体にびっくりする。

芸能人の出産ブログだと「やっと会えたね♡」「生まれた瞬間、愛おしくて涙が出ました♡」みたいなコメントが常套句だが、私の場合はとにかく痛いのが終わって良かった…という感想しかわいてこなかった。このときの写真を夫が撮っていたのだが、私の表情は虚ろで「無」そのものである。あまりのことに、胎盤がいつでたのか、臍の緒がいつ切られたのかさっぱり分からない。股の向こう側で手早く処理されていった。

だんだんと意識が戻ってきたころ、会陰切開の縫合が始まった。これが痛い。身体の中でも最も敏感な部位、なおかつ麻酔が効きにくいものらしく、針の一差し一差しがぢくぢくと痛む。しかも外陰部と中とが分かれているため、縫合にはかなりの時間がかかった。会陰切開を縫うのが一番痛かったという産婦もいるぐらいだ。

縫合が終わり呆けていたところ、今度は初の授乳。

モチ子「おっぱいあげてみましょうかー」

わたし「えっ!もうですか?で、出るかな…」

モチ子「ちょっと失礼しますねー」

私の乳首をキュッとつまむと、じわっと透明な液体が出てきた。おお、マジで出た。赤子といい、乳といい、自分の身体にこんなウラ機能があったとは。今週のビックリドッキリメカ登場ぐらいのサプライズである。

わたし「白いのかと思ってました…」

モチ子「初乳は透明で、数日間はクリーム色になります。そのあと白いおっぱいが出るんですよ」

へーそうなんだ。小さな息子の口を開けて乳首を含ませると、弱い力ながらも吸いはじめた。ほんのちょびっとしか出ないのに、一生懸命吸っている。

カンガルーケア、初乳が終わると今度は身長と体重測定。エコーでは3000g超えていると言われていたのに、実際には2664gしかなかった。栄養が足りなかったのだろうか。最後の一週間は安心してしまい、ろくなものを食べていなかったことを反省した。

1時間ほどだったころだろうか。モチ子にトイレに行くよう促される。ぜんぜん用を足したくはなかったが、歩く練習なのかもしれない。骨盤から下が粉々に砕けたような感覚で、まともに歩くことすらできない。ヨタヨタと個室に入ったとたん、意識を失ってしまった。私は出血量が多かったため貧血を起こしたのだ。

慌ててベッドに戻され、自己血輸血300ミリリットルを投与することに。自己血は2パック採血してあったので、状態を見て明日以降にまた追加することになった。自己血を採っておいて本当に良かったと思う。

本来なら出産が終わったら病室に移る必要があるのだが、私は容体が安定するまでということで数時間LDRにいることになった。落ち着いてくると、LDR広くて綺麗だなあ、音楽かかってるし、アロマたいてあるなあとか冷静に周りが見えるようになってきた。そういえばせっかくソフロロジーの練習したのに一切思い出しもしなかった。あの時間はなんだったんだ。

明け方になって夫も一旦帰り、病室に移される。私が選んだ部屋は<4床室/MDタイプ>という部屋で、相部屋だけど家具がパーテーションの役割をしている部屋だった。

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本当は個室がよかったのだけれど、お値段が比較的安めの個室は満室になっていて、空いていたこちらの部屋をすすめられたのだ。たしかに広くて綺麗だったけど、相部屋には変わりなくて、夜中に息子が泣き出したときは授乳室に移動する必要がある。一泊15,000円の差額を払った価値があるかというとどうなんだろう…。中途半端な立ち位置のせいでこの部屋は人気があまりないようで、4人部屋だけど2人しか入っていなかった。

ではゆっくりお休みくださいねーと助産師さんが行ってしまうと、途端に心細くなった。もう二人きりにされるなんて。わたし、何も知らないのに大丈夫なんだろうか。

しばらくは自分がまだお母さんという意識がなくて、お母さんと呼ばれるとうちの母のことかな?と思うぐらい実感がわいていなかった。お母さんと赤ちゃんというより、急に謎の生物のお世話係に任命されたような気持ちだ。そしてこの赤ちゃんときたらあまりにも小さくて弱々しく、ものすごく危ういバランスで生命を維持していて、何かあればすぐ死んでしまいそうに見える。

会社に生まれたと電話すると、上司たちが順番に電話に出てお祝いしてくれた。「かわいいだろー?」と言われたけど即答できなかった。かわいいと思うような余裕はなく、わたしはただひたすら不安だった。

コットという透明な容器の上で、タオル地の産着を着せられた赤ちゃんは時折プルプル動いたり小さくあくびをしたりしている。人間というより、虫かエイリアンみたいな動きだ。この生き物が人間に育っていくのかあ、不思議だなあと思ってじいっと見つめる。

何もかもが不思議でしかなかった。私のお腹の中にいたのに、私はその仕組みを知らない。私が産んだのに、産み方を知らない。私が母なのに、育て方を知らない。こんなふうにホモ・サピエンスは連綿と子どもを産んで育ててきたのだろう。遺伝子に組み込まれた本能と設計図だけを頼りに。

生まれたばかりの息子を観察して、そういえば原始反射というのがあるのだったと思い出して指をちょんと突いてみると、本のとおりにきゅっとつかんだ。可愛い。まだ自分の子どもだとかとびきり愛おしいという気持ちが湧き出てこないけれど、小さいのう、かわいいのう、と目を細めた。この後、日赤名物・母乳ブートキャンプが始まることをまだ知らずに、私はただひたすらコットの中の赤ちゃんを見つめていた。