ヨチヨチ母日記

アラフォーで妊娠・出産した母の日記

[3歳トイトレ戦記]カリスマナニーのおかげでトイレトレーニングを終えた話

お久しぶりです。

このブログの存在を思い出して読み返してみると、このときこんなこと考えてたのか…まったく覚えてねぇ〜!と思うことばかりで新鮮でした。

わが息子ももう4歳になりました。1-2歳はトーマストーマス一色だったのに、最近は機関車たちのギスギスした小競り合いにさほど興味をしめさなくなっており、「ポケモン」と「カーズ」シリーズばかり見ています。言葉も増え、赤ちゃんから少年の顔つきになってきました。

トイトレを始めたのは2歳半ごろでしたが、最終的におむつが外れたのは3歳になってから。半年以上試行錯誤を重ねた我が家のトイトレ事情について振り返ってみます。

トイトレって自然にできるんだと思ってた

周囲からトイトレは大変だとは聞いていたものの、ある程度の時期が来たらなんとなーくできるようになるんでは?と思っていた私。とりあえず準備しておこうと思い、2歳になってから子ども用の便座とステップを購入しました。トイレで長く使うことを考えたらキャラクターがついているものや派手な色じゃないほうがいいなと思い、シンプルなベビービョルンのトイレットトレーナーを購入しました。

さすがベビービョルン!トイレにおいても生活感が出なくておしゃれ。母はいい買い物をしたぞ…と自己満足に浸っていたものの、息子は一切反応なし。

「これからおしっことうんちはトイレでする練習をしていこうね!」と日々伝えたものの、息子は一向にトイレに行く気配がない。

シールで釣ってみる

我が家では「こどもちゃれんじ」を購読しており、絵本にもDVDにもトイトレのコーナーが必ずあります。"びゅーん、びゅーん、といれっしゃ〜♪"の歌だの音の出るおもちゃもあり、一応息子も見てはいるものの自分でおしっこのタイミングというのはまだわかっていないみたい。

息子のおむつが外れない

トイトレをはじめて早半年。保育園でも他の子はかなりパンツになってきており、おむつをしているのはうちの息子と月齢の低い子数人となりました。本人は「おれはおとなになってもずっとおむつなの!」と意固地になってくる始末。すっかり詰んだ私は先輩ママである友人に助けを求めることに。

友人からの教えは「まずこの本を読め」「そしてここに書いてある手順通りにすすめよ」というものでした。

カリスマ・ナニーが教える 1週間でおむつにさよなら! トイレトレーニング講座

藁にもすがる思いで購入したところ、目から鱗の情報がいっぱいだったのです。

ナニーの教え①「ある程度のことが自分でできるようになっていなければいけない」

ナニーの本では

数分以上座っていられない子や簡単な指示に従えない子ではトイトレ が難航する

その場合は子どものできることが増え、正しい時期が来るまで待つ

と書かれています。我が家はそもそもこれができてなかったんですよね…

息子のお着替えに時間がかかるため、親が全部やってしまっていました。いつも時間に追われて、早く着替えさせねば!と思うあまり、子どもが自分でやる機会を奪ってしまっていることに気づきました。

トイトレは子どもだけの問題ではなく、親のあり方そのものが影響するんだと反省。

ナニーの教えに従い、我が子には頑張り表を作り「お着替え」「ごはん」「おしっこ」など生活の基本動作を項目にして、できたらご褒美シールを貼るという運用を開始。一人でできることを褒めていく&可視化することで、息子もちょっとずつ自信になりお兄さんの自覚が芽生えてきたようです。

ナニーの教え②「おまる」を用意してステップアップする

おまるは排泄物の処理をしないといけないためヤダなーとまたしても親都合で二の足を踏んでいた母でしたが、背に腹はかえられぬと永和のおまるを購入しました。おまる・補助便座・ステップ台として使える3WAYタイプです。

しかしやはり排泄物を洗う処理をするのはツラくなりそうなので、おまるシートを同時購入。少しだけのおしっこならそのままビニール袋にくるんで捨てれば良いし、うんちの場合も固形物だけトイレに流してbossでくるめば問題なし。

ナニーの教え③トレーニングパンツ・パンツ型紙おむつは使わない

うちの場合良かれと思ってトレーニングパンツやトレパンマンを使っていたのですが、

パンツ以外のものは子どもを混乱させるだけ

おむつとパンツを併用するのがトイトレ を長引かせる最大の要因

なのでそうで…。地味にショックでした。これを機にトレパンマンはすっぱりやめることにし、残ったおむつは上記のおまるで出たおしっこを吸収させるために使いました。

それまで外出時にはトレパンマンを使っていたのですが、お出かけ中のおもらしは仕方がないものとして服一式と靴も常に持ち歩く完全装備となりました。つらい。

 

ナニーの教え④親が排泄物にネガティブな反応を見せない

わかっちゃいるけど、最初のうちは漏れる漏れる。たまにうんちが転がった日には、家の中が大惨事です。その際に親が「ギャー!」「わー!」と反応していると、子どもは排泄自体が悪いことのように思ってしまうのだそうで、トイトレ が長引いてしまうのだとか。「あっ、出されたんですね」とベテランホテルマンのごとくスマートに汚物を処理するという鍛錬が必要になります。

そんな際に活躍するのがバケツ。粗相をしてしまったパンツや服をさっと入れてお風呂場に持って行ってしまえば、子どもの心のダメージも最小限で済むのです。

失敗したときは落ち着いて気にしないようにする。成功したときは大げさにほめる。なんかこれ仕事の育成と似てるな…

半年以上かかってトイトレが終了

数えきれないお漏らしを経験し、ついにトイレトレーニングは終了しました。本当に長い戦いだった…(遠い目)。私と同じ轍を踏まぬよう、ぜひこの記事の情報も参考してみてくださいね。

【子連れ旅行天国】ホテルエピナール那須に行ってきた

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今年のゴールデンウィークは10連休。 子どもが生まれてから旅行に行ったことのない我が家もいっちょ挑戦してみるか!とお正月に計画を立て、子連れ旅行に最適なホテルを検索しました。

旅行デビューにエピナール那須を選んだ理由

検索する中で候補にあがってきたのが「ホテルエピナール那須」。「子連れ 旅行」といったキーワードで検索すると、必ず紹介されている人気の宿です。ふむふむと読み進めると「ウェルカムベビーの宿」認定、キッズバイキングやキッズルームが付いているとのこと。

1歳7ヶ月の息子にとっては初めての旅行。長時間の移動に耐えられるかという不安もあったので、東京からさくっと行ける近さ(新幹線で1時間程度)は魅力的でした。

また、ホテル付近にある牧場なら動物好きの息子も楽しめるのではないかと考え、エピナール那須に決定したのでした。

子連れ旅にやさしいポイント

キッズバイキングコーナー

息子は旅行の頃には1歳7ヶ月。離乳食のベビーフードは卒業し、かといって大人用のご飯が食べられるわけでもないという微妙なお年頃です。外食で何を食べさせればいいんじゃー!と悩むのはストレスでもありました。

しかーし!このホテルなら子どもが食べやすいサイズに小さくカットされた野菜や、優しい味付けのお料理を出してもらえるのです。何これ最高かよ…。

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赤ちゃんのための離乳食(おかゆ・スープ)、ベビーフード(5ヶ月〜12ヶ月)も揃っています。

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食事用の椅子はもちろん、食器、エプロン、マグなど、子どもサービスが充実していて、食事グッズを持っていく必要がないのが嬉しいです。

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ベビー・キッズ仕様の部屋

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本当は2017年に誕生したベビー&キッズルームを予約したかったのですが、お正月の時点で満室。10連休おそるべし。この部屋が良ければかなり早めに予約したほうが良さそうです。代わりに私たちが宿泊したのは、アネックスタワーのファミリーコーナー(禁煙)(和洋室)というお部屋。広い畳敷きの部屋で、息子は喜んで走り回っていました。本当は3世代でも泊まれる部屋のようです。

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テーブルや家具にすべて角がなく、子どもが転んだりぶつかっても痛くない!

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和室にお布団を敷いて寝ることもできます。

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ベッドが低床タイプで転がり落ちても大丈夫。カトージのベッドガードも付いている。

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おしりふきとオムツ用バケツつき。臭いが気になりません。

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巨大な読み聞かせ絵本。息子が気に入って何度も読むことになりました。

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部屋におもちゃつき。プラレールや木のおもちゃで息子も大興奮。

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バスチェアとベビーソープつき。ベビーソープ持って行かなくても済むのはありがたいですね。

お部屋は子連れのためにいたれりつくせりで、感動しっぱなしでした。

なお、お値段のほうはGW価格ということで2泊で10万円以上。高い。けどその分の価値はあった!

子連れ客ばかりで気楽

ゴールデンウィーク期間中ということもあったと思いますが、宿泊客の8割は子連れ客です。ホテル中、ぎゃーぎゃーわーわー大騒ぎです。子どもが泣いても騒いでもお互い様だよねーという優しい空気に満ちており、すんごく居心地が良い! 日頃は「うるさくしてすみません」とペコペコしまくっている私も、終始リラックスして過ごすことができました。 

緑いっぱい!自然の中で遊べる

ホテルの敷地内に芝生の広場があり、ゴルフやバドミントンなどができます。森にはストライダーやツリートレッキング(アスレチック)コースが用意されていて、特にストライダーが人気のようでした。

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アクティビティには参加できない年齢の息子も、緑道を散歩したり、芝生の上で走ったりするだけでも楽しそうにしておりました。連れてきてよかったなあとしみじみ。

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たんぽぽがいっぱい咲いていて、あちこち見つけては喜んでいました。

雨でもOKの室内温水プール

なんと25mも泳げる室内温泉プールがついています。これは大規模ホテルならではの設備ですね。このプールが楽しみだったのか、チェックインのときから浮き輪を持ってきているご家族もいました。

我が家が行った2日目は大雨。観光地で雨、しかも子連れとなると何していいかわからーん!という問題がありますが、室内プールで半日遊べるので子どもが退屈しません。

30cmぐらいの水深の浅いお子様プールもあり、乳幼児連れにはありがたかったです。息子の機嫌が悪くなり終始ギャン泣きだったため早々に退散しましたが、他の子たちは楽しそうに遊んでいました。水着や帽子はレンタルもできます。

スタッフの神対応 

子連れとは関係ないのですが、ホテルスタッフのホスピタリティを象徴する出来事がありました。食事の際、私が歯科矯正用のリテーナー(マウスピース)をおしぼりのビニール袋に入れたまま置き忘れるという事件が。慌てて取りに帰ったものの、トレーは片付けられた後。おしぼりの袋に入れたので、ゴミとして捨てられてしまっていたのです。ゴミの中から探してもらうのも申し訳なくて諦めようと思ったのですが、スタッフからは「宜しければもう少し探させてください」という回答。1時間ほどして無事見つけてもらい、洗って返してもらいました。ハイシーズンの忙しい中、1人のウッカリ者の客のためにベストを尽くしてくださった。このホテルはすごいと感動する対応でした。

まとめ:エピナール那須は本当に子連れ天国だった

上記の他にも2階には常設のぬり絵&絵本コーナーがあり、絵本好きの息子も大満足。壁にはトリックアートやクイズなど、ホテル内で子どもたちが見つけて遊べるような展示がありました。

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設備全体は老朽化が目立つところがあるのですが、ソフト面でそれ以上の付加価値あり。子連れ客のリピーターが多いというのも頷けます。

アメニティが充実しているから荷物が少なくて済むし、子どもウェルカムを前面に打ち出しているので館内どこにいても気楽! そして、ホテル内だけでも遊べる場所がいっぱいあるので、子どもたちも嬉しそう。結局子連れ旅というのは子どもの笑顔が見られることが一番大事なんですよね。

我が家もまた遊びに行きたいと思う子連れ天国のホテルでした。

[出産体験記⑤]母乳ブートキャンプ

前回の記事→[日赤医療センター出産体験記④]出産・吸引分娩 - 38歳高齢出産ブログ

日赤医療センター 周産母子ユニット

生まれたばかりの赤ちゃんはガッツ石松に似ているという話を聞くけれど、うちの息子は田中邦衛みたいなアッサリ顔をしていた。後日、新生児室に並ぶ赤子たちを見ても、やっぱりみんなおっさんに似ている。逆におっさんが赤ちゃんに似ているのかもしれない。

出産当日は頭はハイになっているけど体は疲れていて、眠ろうと思うのになかなか寝付けなかった。生まれたばかりの赤ん坊があまりにも静かなので、たまに息をしていないのではないかと心配になって、がばっと起きて確認した。何度かの「ガバッ」→「あ、生きてた…」を繰り返し、ようやく眠ろうかなと思った頃、助産師さんがやってきた。

「たぬ木さーん、おっぱいあげてみましょうか」

おお、授乳ね、授乳。会陰切開の傷がズキズキと痛んで普通に座れないので、ドーナツクッションをお尻に敷いてヒィヒィ言いながら起き上がる。このときは会陰切開の傷の痛みなのだと思っていたが、どうやら出産の時点で痔になっていたらしく、その痛みがMIXされてとにかくあちこち引きつれるような痛みだった。

産むまで授乳というのは自然とできるものなのかと思っていたけれど、母も新生児も慣れていないのでうまく吸うことができなかった。何度やっても乳首を奥までくわえさせるというのが難しいのだ。ゴム手袋をはめた助産師さんが「ちょっと失礼しますねー」と言うなり半ばぐいっと赤子の頭をつかみ、口を大きく開けたところで、ばくっと乳首をくわえさせる。くわえさせるというか、喉の奥につっこむというほうが正確だ。そ、そんな強引でいいんですか…と呆気に取られるが、こうしないと浅飲みの癖がついて乳首が痛くなってしまうのだそうだ。

その後も母乳を知り尽くしたプロ、日赤が誇る助産師たちが2時間に1回はチェックにやってくるようになった。最初のうちは私が高齢初産のため要注意人物指定されているのだろうかと思っていたのだが、同室の若い産婦にも同様にやってきていたので、どうやらこれが通常の間隔であるらしい。

授乳時には配布されたノートに左○分、右○分と書き込む決まりになっている。うんちやおしっこの記録も取った。このノートを後で助産師が見て、排便・排尿・授乳の間隔で異常がないかチェックするのだ。 

24時間母子同室、母乳完全推奨。ベビーフレンドリーではあるが、ママには全くフレンドリーではない。これからが母乳ブートキャンプの始まりである。

母乳講座

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翌日の朝、授乳室にて母乳講座が開かれ、授乳ポジション、乳首のくわえさせ方について再度レクチャーがあった。しかし出産当日、貧血でヘロヘロな上に息子の夜泣きに翻弄された私はぐったりしており、超テンションが低い人間として参加することになった。

他の参加者たちが自己紹介を始めると、皆口を揃えて「大変だったけど赤ちゃんの笑顔を見ると頑張れる」などと言っている。笑顔なのは嬉しいからじゃなくて生理的微笑なのでは…と心の中でツッコミを入れたが、野暮すぎるのでさすがに言えなかった。

その後の自己紹介を聞いていても、陣痛から30時間以上、切迫早産での入院を経て帝王切開など、武勇伝大会の様相を呈してきた。皆、人生最大の山場を乗り切った後で、ランナーズハイならぬ産後ハイになっているようだ。自然分娩で3時間40分という私は武勇伝としては最弱な部類であった。

後日夫にそれを話したら「神様も我慢できる人にしか試練を与えないんだよ。この人はこれぐらいで限界かな?と早めにしたんじゃないの」ともっともらしいことを言っていた。失礼な。

即身仏ならぬ即身乳

1〜2時間おきに授乳を行うのだが、子が吸う力がまだ弱く1回の授乳に30〜40分はかかってしまう。日々起きている間はほぼ授乳をしているという生活になり、授乳ポジションやら搾乳のことで脳のCPUの90%が占められており、乳を出す前の自分が何者だったのかさえ思い出せなくなってきた。乳を吸われているうちに自分の存在自体がランプに吸い込まれる魔神のごとく消えてなくなっていくような気がした。 

子を見つめる母、乳をふくんでまどろむ赤子。はたから見ると幸せな親子の光景なのだが、母乳が血からできているということを考えてみていただきたい。毎日成分献血しているようなもので、体の栄養素はじゅうじゅうと吸われ、頭はぼんやりとし、貧血でフラフラし、白髪とシミだけが増えてくる。水分が慢性的に不足しているためコンタクトレンズをすれば目がやたら乾く。だんだんと目の前で乳をふくむ我が子が吸血鬼のように見えてくる。

川上未映子の妊娠・出産エッセイ『きみは赤ちゃん』には、「即身仏ならぬ即身乳」という名言が出てくる。この言葉通り産後3ヶ月くらいは「乳人間の乳人間による乳のための生活」と言ってよい。己のレーゾンデートル(存在意義)は乳なのだ。

それまで身体の中でもっとも敏感な箇所であった乳首、それが吸啜(きゅうてつ)がド下手な新生児によって四六時中力一杯吸われるものだから痛くならないわけがない。 私の乳首は摩耗のあまりガサガサとひび割れ、血が滲んできた。授乳時間が憂鬱で仕方ない。

助産師さんに授乳が痛いと相談すると「そうですねえ、いま辛いかもしれないですけど、すぐ慣れて大丈夫になりますから」という回答。日赤では乳頭保護クリームのピュアレーンが自販機で売っているということだったので、産後の体でヨレヨレになりながら買いに行くことにした。こんなニッチな商品が深夜、暗がりの中で光る自販機に並んでいるというのは、かなりシュールな光景だった。とりあえず部屋に戻ってピュアレーンを塗ると、翌朝にはいくらか痛みがマシになったような気もした。

深夜、授乳室で泣く

3日目にはシャワーを浴びられるようになった。日赤では新生児の検査やシャワーの間はナースステーションに預かってもらうことになっている。息子のコットを見送ると緊張から解放されてほっとした。髪を洗い、汗だくだった体をお湯で洗い流す。温かい。洗面台の鏡をおそるおそる見てみると、いやいや嘘でしょと思うぐらいお腹がぽっこりなままだった。本体(息子)、出てるよね。胎盤も出たよね。なのにこの腹は一体…!? 私の腹は膨らんだまま、下にたるんだようになっているのだ。お腹ってすぐへこむわけじゃないんですね…本当に衝撃だった。

ベッドに戻りスマホをいじると、いつもの日常が戻ってきた感じがした。「おかあさん」ではなく「いつものわたし」に戻る。ああ、ずっとこうしていたいなあ。もう何もしなくていい子どもに戻りたい。でも、もう二度と子どもに戻れない。産んでみて気づいたけれど、私はずっと子どものままの大人だったんだな。自分のことだけしていれば良い子ども。38歳にもなって子どもというのもいかがなものだけど、24時間誰かを死なないように守らなければいけない、養わないといけないというような経験がいままでなくて、新たに生まれた責任は息苦しくさせていた。あんなに楽しみにしていたのに、私はどうして子どもがいなくてホッとしてしまっているんだろう。母性本能がないのだろうかと不安になる。

息子は昼夜問わず「エッエッエ…」と泣き続けていた。 夫が面会に来ている間は任せて仮眠もできるが、夜になると二人きり。同室の方の迷惑にならないようにと、夜に泣き始めたらコットをガラガラと押して授乳室に向かうようになった。授乳室では同胞(夜泣きママ)が同じように集っていたけれど、大抵は10分ほど授乳したら退室していく。しかし息子は授乳後もこれでもかと泣き続け、私のほうは疲労困憊、半ばノイローゼのようになってきた。泣く→授乳→おしっこ・うんち→泣く→授乳の繰り返しを延々と続けていたとき、息子のおむつがゆるかったようで、水っぽいうんちが授乳クッションにべったり漏れてしまった。あわててカバーを外して、再度おむつを替えようとしたとき、私は泣いていた。産後のホルモンバランスが崩れたせいなのか睡眠不足が続いたせいなのかわからないが、自分でも思ってもいないところで涙が出る。授乳室には深夜でも助産師さんが見回りに来ていて、母親たちの話に耳を傾ける。この日は一人涙したが、翌日にはウンウンと話を聞いてもらった。

最初の2日間はなかなか量が出ず、体重も増えなかったのでミルクを足したいと訴えてみたが、「赤ちゃんは手弁当で生まれてくるので1日2日ご飯がなくても大丈夫です!」と押し切られる。その言葉を信じてよかった。3日目には私の乳はぼたぼた滴れるようになり、乳首をつまむとビューっと放射線状に出るようになった (射乳というらしい)。

私の乳は大量生産型だったらしく、入院中も助産師さんから「本当に初産ですか?すごい!」と賞賛された。ほかに褒めどころのない私はちょっと嬉しくなっていたが、乳というのはやっかいなもので、作られすぎても乳腺炎になったりトラブルのもとなのである。

入院3日目には母乳外来を強くすすめられ、1週間後に予約をしておくことにした。母乳外来は1回3500円と高額で、任意なら別にいっかなーと思っていたのだが、そこまでおっしゃるのであれば…という感じで予約することにした。

[出産体験記④]出産・吸引分娩

前回の記事→[日赤医療センター出産体験記③]陣痛やばい - 38歳高齢出産ブログ

分娩室に移動してから約3時間、何度かの内診(膣に指ツッコミ)を経て、頑なだった子宮口がようやく10センチになり、ベテラン医師と研修医が3名で登場した。天井にあった手術用ライトが点けられ、急に部屋が眩しくなる。足は大きく開脚した状態で足置きに置かれ、手でサイドにあったバーを握るように指示される。それまで陣痛が来ても「息を逃してー」と言われていたのだが、ようやく「いきむ」フェーズに突入したのだ。

隣にいる助産師さんの「次に陣痛が来るタイミングで思いっきりいきんでー。せーの!」という声にあわせて、ふんぬー!!と顔を真っ赤にしていきむ。いきむときに尋常じゃない痛みに腰が浮いてしまい、なかなか力を込めることができない。手はバーを握り、足は踏み台に、腰はしっかりつけ、目線は助産師に、タイミングをあわせていきむ。書き出すと普通に思えるが、この時の私は過去自分が体験した中でもぶっちぎり、最大の痛みと戦っており、複数のことをきっちりやるなんて不可能なんである。

何度かいきみを繰り返したあと、どうやら私の酸素レベルが下がったようで、マスクを付けられた。

「たぬ木さん、赤ちゃんいま苦しいサインが出てるから、早く出しましょうね」

赤ちゃん苦しいサイン…おお、そういうの『コウノドリ』に出てきた!本当にこういう言い方するんだな。リアルコウノドリを聞けてちょっと嬉しくなっていたとき、ベテラン医師が何やら横の研修医たちに指示して準備をはじめた。なかなか進まないため、会陰切開をして吸引分娩に切りかえることになったのだ。

会陰切開は痛いと聞いていたので、できればやりたくなかったけれど、この痛みから解放されるためなら会陰のひとつやふたつくれてやらあ!というモードに突入していた。

デリケートゾーンであるはずの乳も女性器もこの部屋では遠慮なく丸出しにされ、切られ、そしてそれを自分自身も不思議に思わなくなっていく。慣れって恐ろしい。

切開する前の麻酔注射が割と痛いが、おかげで切開自体はサクッと済んだ。お次は吸引である。

小型の吸引カップみたいな機械が登場し、膣の中に入れられる。カップを赤ん坊の頭に付けて、思い切り引っ張るというかなり原始的な方法だ。

よし、今度こそ。フンヌー!!と陣痛の波にあわせていきむと、股の間からズリっと生温かいものが出てきた。フミャーフミャー。ついに息子誕生の瞬間である。陣痛開始から3時間40分、初産にしては早いと褒められた。

子が出てくる直前に私のTシャツはばっとめくりあげられ、乳が丸出しとなった。出てきたばかりの赤子はカサカサしたブルーの紙で血を拭かれ、わたしの胸の上に乗せられる。カンガルーケアというやつだ。生まれたばかりの息子は生温かく柔らかく、私の胸の上で頼りなさげにモゾモゾと動いていた。目は固く閉じられ、真っ赤な土偶のような顔をしている。

この10ヶ月、赤ちゃんがお腹にいるとは見聞きして知っていたわけだけど、こうして目の前に実物を抱くと、ああ、本当に小さい人間入ってたんだなあ…と自分の身体にびっくりする。

芸能人の出産ブログだと「やっと会えたね♡」「生まれた瞬間、愛おしくて涙が出ました♡」みたいなコメントが常套句だが、私の場合はとにかく痛いのが終わって良かった…という感想しかわいてこなかった。このときの写真を夫が撮っていたのだが、私の表情は虚ろで「無」そのものである。あまりのことに、胎盤がいつでたのか、臍の緒がいつ切られたのかさっぱり分からない。股の向こう側で手早く処理されていった。

だんだんと意識が戻ってきたころ、会陰切開の縫合が始まった。これが痛い。身体の中でも最も敏感な部位、なおかつ麻酔が効きにくいものらしく、針の一差し一差しがぢくぢくと痛む。しかも外陰部と中とが分かれているため、縫合にはかなりの時間がかかった。会陰切開を縫うのが一番痛かったという産婦もいるぐらいだ。

縫合が終わり呆けていたところ、今度は初の授乳。

モチ子「おっぱいあげてみましょうかー」

わたし「えっ!もうですか?で、出るかな…」

モチ子「ちょっと失礼しますねー」

私の乳首をキュッとつまむと、じわっと透明な液体が出てきた。おお、マジで出た。赤子といい、乳といい、自分の身体にこんなウラ機能があったとは。今週のビックリドッキリメカ登場ぐらいのサプライズである。

わたし「白いのかと思ってました…」

モチ子「初乳は透明で、数日間はクリーム色になります。そのあと白いおっぱいが出るんですよ」

へーそうなんだ。小さな息子の口を開けて乳首を含ませると、弱い力ながらも吸いはじめた。ほんのちょびっとしか出ないのに、一生懸命吸っている。

カンガルーケア、初乳が終わると今度は身長と体重測定。エコーでは3000g超えていると言われていたのに、実際には2664gしかなかった。栄養が足りなかったのだろうか。最後の一週間は安心してしまい、ろくなものを食べていなかったことを反省した。

1時間ほどだったころだろうか。モチ子にトイレに行くよう促される。ぜんぜん用を足したくはなかったが、歩く練習なのかもしれない。骨盤から下が粉々に砕けたような感覚で、まともに歩くことすらできない。ヨタヨタと個室に入ったとたん、意識を失ってしまった。私は出血量が多かったため貧血を起こしたのだ。

慌ててベッドに戻され、自己血輸血300ミリリットルを投与することに。自己血は2パック採血してあったので、状態を見て明日以降にまた追加することになった。自己血を採っておいて本当に良かったと思う。

本来なら出産が終わったら病室に移る必要があるのだが、私は容体が安定するまでということで数時間LDRにいることになった。落ち着いてくると、LDR広くて綺麗だなあ、音楽かかってるし、アロマたいてあるなあとか冷静に周りが見えるようになってきた。そういえばせっかくソフロロジーの練習したのに一切思い出しもしなかった。あの時間はなんだったんだ。

明け方になって夫も一旦帰り、病室に移される。私が選んだ部屋は<4床室/MDタイプ>という部屋で、相部屋だけど家具がパーテーションの役割をしている部屋だった。

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本当は個室がよかったのだけれど、お値段が比較的安めの個室は満室になっていて、空いていたこちらの部屋をすすめられたのだ。たしかに広くて綺麗だったけど、相部屋には変わりなくて、夜中に息子が泣き出したときは授乳室に移動する必要がある。一泊15,000円の差額を払った価値があるかというとどうなんだろう…。中途半端な立ち位置のせいでこの部屋は人気があまりないようで、4人部屋だけど2人しか入っていなかった。

ではゆっくりお休みくださいねーと助産師さんが行ってしまうと、途端に心細くなった。もう二人きりにされるなんて。わたし、何も知らないのに大丈夫なんだろうか。

しばらくは自分がまだお母さんという意識がなくて、お母さんと呼ばれるとうちの母のことかな?と思うぐらい実感がわいていなかった。お母さんと赤ちゃんというより、急に謎の生物のお世話係に任命されたような気持ちだ。そしてこの赤ちゃんときたらあまりにも小さくて弱々しく、ものすごく危ういバランスで生命を維持していて、何かあればすぐ死んでしまいそうに見える。

会社に生まれたと電話すると、上司たちが順番に電話に出てお祝いしてくれた。「かわいいだろー?」と言われたけど即答できなかった。かわいいと思うような余裕はなく、わたしはただひたすら不安だった。

コットという透明な容器の上で、タオル地の産着を着せられた赤ちゃんは時折プルプル動いたり小さくあくびをしたりしている。人間というより、虫かエイリアンみたいな動きだ。この生き物が人間に育っていくのかあ、不思議だなあと思ってじいっと見つめる。

何もかもが不思議でしかなかった。私のお腹の中にいたのに、私はその仕組みを知らない。私が産んだのに、産み方を知らない。私が母なのに、育て方を知らない。こんなふうにホモ・サピエンスは連綿と子どもを産んで育ててきたのだろう。遺伝子に組み込まれた本能と設計図だけを頼りに。

生まれたばかりの息子を観察して、そういえば原始反射というのがあるのだったと思い出して指をちょんと突いてみると、本のとおりにきゅっとつかんだ。可愛い。まだ自分の子どもだとかとびきり愛おしいという気持ちが湧き出てこないけれど、小さいのう、かわいいのう、と目を細めた。この後、日赤名物・母乳ブートキャンプが始まることをまだ知らずに、私はただひたすらコットの中の赤ちゃんを見つめていた。

[出産体験記③]陣痛やばい

[日赤医療センター出産体験記②]前期破水で入院 - 38歳高齢出産ブログ

夕食をペロリと食べて一息つくと、お腹の下あたりがモワーンと痛くなってきた。あれ、なんかお腹痛いかも。軽い生理痛にも似ているけど、ウンチの前にお腹がゴロゴロするときの痛みのような。便秘がちだしなーなんて思っていたら、モワーンがだんだんズーンズーンに変わり、何度も波がやってくるようになった。

あれ…これってもしや陣痛ってやつじゃないの?私が想像していた陣痛は子宮がギューっと収縮するような痛みだったのだけど、いま体験している痛みはそれとは違って、ウンチが出そうで出ないときの腹痛に近かった。膣や子宮につながる道ではなく、お尻の穴の奥、尾てい骨の上あたりに鈍い痛みがやってくる。

ナースコールをして陣痛が来たと伝えると、NSTの準備が始まった。

助産師「いま何分おきですか?」

わたし「えーと、正確にはかってないんですけど…10分ぐらいですかねえ」

助産師「あーまだ我慢できますか?5分おきになったらまた呼んでください」

わたし「えっ、あああ、はい」

そうか、すぐ分娩室じゃないのか。いま結構痛くなってきたけど、我慢できるレベルならまだまだ本番はこれからということだ。だんだんと勢いを増す陣痛が来る度に、あらかじめ入れておいた陣痛計測アプリを起動させてタップする。こんなアプリ本当に必要かなと思っていたたけれど、陣痛がやってきて自分で1分、2分と計測したりする余裕なんてなかったし、入れておいて良かった。こんなマネタイズしづらいアプリ出してくれる会社の人ありがとう。しかし痛みはじめは分かるのだが、終わりってのがわかりづらくて、間隔がこれで正しいのかどうかさっぱりわからない。一応開始と思われるタイミングは押し続けることにした。その間にもなんども若い助産師(肌がもちもちしているので心の中で「モチ子」と呼ぶ)が様子を見に来てくれるのだが、上からGOサインがなかなか出ないらしく、「もう少し頑張ってくださいねー」と申し訳ない顔で去っていく。いやいや頑張ってるから早く!早くして!原田知世もいまなら「私を分娩室に連れてって」と叫ぶに違いない。

ついに陣痛はソロリサイタルからカルテットレベルになり、5分おきの間隔でやってくるようになった。破水から4時間半、陣痛開始から2時間、ついに分娩室に移動する。

分娩室に運ばれるとベテランと思われる助産師の内診チェック。私の頑固な子宮口はまだまだ開いていなかった。息子よ、そろそろ観念してくれ。母はもう限界である。痛みはカルテットからオーケストラ級となっていた。

例えて言うなら岩のようなウンコがどしーんどしーんと下腹部にぶつかってきて、そのまわりを万力でもってメリメリメリ…メリメリメリ…とちょっとずつ広げるような痛み。

こんな拷問スレスレの痛みにホモ・サピエンスは何百万年もよく耐えてきたよな。というか女がやることだから、長年痛みを緩和する手段が講じられなかったのだと思う。欧米だと無痛分娩が多いと聞くけど、いまだに日本では「お腹を痛めた子のほうが」という戦前の精神論みたいな理由で自然分娩がヨシとされている。もし男が出産することになったら、速攻で無痛分娩を推奨し、死ぬ気で痛み止めを開発するに違いない。

夫は面会時間を過ぎていたため一旦帰宅していたが、分娩室移動後に駆けつけてくれていた。「いったー!!いたたたた!!あだだだだ!!」と脂汗をかく私を呆然と見つめている。とにかく痛みに弱い私は夫の顔を見るなり「無理、もう無理。もう(出産)やめたい」と泣きつき、後日、夫に「妊婦界最高のヘタレ」呼ばわりされることになった。

モチ子にも「私もう無理そうなんですけど、何か麻酔とか打てないでしょうか」と訴えてみたが、医療介入最小限がモットーの日赤でそんな便利ツールが出てくるわけもない。ああ、なんでわたし自然分娩にしちゃったのかなあ、次産むなら絶対、ぜったいに無痛分娩にする。朦朧とする意識の中でそんなことばかり考えていた。

ベテラン助産師さんが骨盤のあたりをさすってくれるのだが、さすがシャーマンのスキルは違う。荒れ狂う痛みの中でも、そこだけ安らぐような優しい空気が流れる。ところが夫が同じように腰をさすってみると、なんか…なんかね…違うんだよなぁ~!と言いたくなる不愉快さ。タイミングとか強さとか、ぜんぜん気持ちよくない。「もうそれいい…」と言うのが精一杯であったが、後から聞くと夫は「俺の存在価値は…」とすっかり落ち込んでいたらしい。

(続く)

38mama.hatenablog.com

[出産体験記②]前期破水で入院

体験記①はこちら

[日赤医療センター出産体験記①]おしるしの色はRGBで指定して - 38歳高齢出産ブログ

救急・時間外受付に着いて「電話したたぬ木ですけど」と伝えると、産科の助産師が車椅子を押してやってきた。日赤の場合は救急受付から産科病棟まで直通のエレベーターがあり、車椅子で妊婦を運べるようになっているのだ(このあたりは破水騒ぎで経験済み)。エレベーターで産科病棟にあがると、トイレで現在あてている生理ナプキンを置くよう指示される。ナプキンについた成分を試験紙にあてて、破水かどうかを調べるのだ。

ドラマの出産シーンでは「うっ、あなた…産まれる!」と産気づき、病院に着くや否やストレッチャーで運ばれるというような描写が多いような気がするが、現実はかなり地味なもんである。試験紙で破水判定しているドラマなんて、見たことないぞ。

トイレから出てきた助産師は目をキラッとさせ、「破水でした。いまから検査しますねー」と車椅子を足早に押し始めた。さながら獲物を発見したハンターの目である。この日は患者が少なく、助産師さんたちも若干ヒマを持て余していたのかもしれない。

内診台に乗って子宮口をチェックされる。結果、まだまだ子宮口は空いておらず、分娩までは時間がかかりそうだということだった。

この時点で羊水は大放出、パンツを脱げば床にしたたるような状態だったわたしは、おなかの中の風船にたまった水がみるみる減って息子があっぷあっぷしている図が頭に浮かんだ。

わたし「あのう、羊水こんなに出ても大丈夫なんでしょうか?おなかの中で息ができないとか…は…(もしかしてアホなことを聞いているのかもしれないので、おそるおそる)」

助産師「んーお腹の中にはまだ羊水たーくさんありますから。感染症予防が必要なので注意は必要ですけど」

そういうもんなのかあ。とにかく38年も生きているのに、出産については知識がなさすぎて、そういうことになってんのかあ、はあ、人間うまいことできてんなあ、と呆けてしまうことばかりだ。

お次はNSTにて胎児の状態を確認することになった。NSTノンストレステスト)というのはお腹にセンサーをあてて、胎児の心拍とお腹の張り具合をはかる機械である。

センサーを2つつけるとニョロニョロと波状の心拍グラフが出てくるが、息子の元気具合をはかるためには起きているときを見なければいけない。「うーん、まだ寝てるみたいですね」ということで、しばらく息子の目覚めを待ってNST室で待機することになった。

助産師も席を外して一人横たわっていると、この10ヶ月の集大成、出産間際だというのに「こんなに早く来るなら先週もっと美味しいもの食べに行けば良かったなあ」とか「夫はネットスーパーの宅配時間に間に合ったかなあ」とか此の期に及んでどうでもいいことばかり頭によぎる。いざ出産となれば「早く赤ちゃんに会いたい」といったインスタ映えしそうな思いが湧き出てくるものなのかと思っていたが、人間急に変わるものではない。

そんなこんなしているうちに、ネットスーパーの受け取りを済ませた夫が駆けつけてくれた。寝起きの息子(胎児)は元気だったが、お腹の張りのほうはまったく来ないようで、前日のNSTとほぼ変わらない値をうろうろしている。どうやら陣痛が来るとこの値がワーっと上がるものらしい。陣痛はもう少しかかりそうですね、ということで、入院して様子を見ることになった。

わたし「あのう、陣痛は平均で何時間ぐらいで来るものなんでしょうか?」

助産師「そうですねー、一概には言えないんですけど、24時間以内に陣痛が来る方が50%ほど、来ない方は誘発剤を入れます」

なんと。いつ来るかとドキドキしていたが、ひとまず今日は来ない可能性もあるってことか。おしるしが出てからは何を食べてもよいと聞いていたので、病院食にプラスしておやつも食べちゃおうとほくそ笑む。「いやーまだまだ陣痛来そうにないね!君も帰ったらいいよ!」と夫を帰し、夕食を完食したちょうどそのとき、ついに魔の手(つまり陣痛)が忍び寄ってきた。

(続く)

[出産体験記①]おしるしの色はRGBで指定して

このブログには「出産 日赤」というキーワードでやってくる人が多く、その割に出産体験記を書いていないのが申し訳ない気がしてきたので、もう1年も前のことだが記憶を引っ張り出して出産体験記を書くことにした。

日赤医療センター

日赤医療センター

シャーマンのお告げ(助産師の内診)外れる

39週になった私は日赤医療センター助産師の内診を受けていた。妊婦健診でもう慣れたものだが、この内診というのはただ膣に指をそのまま突っ込むという割と原始的な計測方法である。担当の助産師さん曰く、子宮口が全然開いておらず、出産はあと1週間くらい先ということだった。

普通なら指だけで何センチ子宮口が開いてるかなんて分からないように思うのだが、腹の上から触っただけで胎児の姿勢を言い当てたり、逆子を腹の上から直したりと、助産師という職業はシャーマンみたいな不思議さがある。シャーマンが言うことなら神のお告げ同様である。39週に入りいつ陣痛が来るのかとドキドキしていた私は、1週間の猶予が与えられたような気分になってしまい、帰り道は気が大きくなってアイスを買い食いしていた。アイスうまい。

日赤ではソフロロジーのCDを妊婦向けに貸し出しており、助産師さんに強く勧められたので借りて帰ることにした。ソフロロジーとはフランスで始まった出産方法で、呼吸法を整えることでリラックスし、出産時の痛みを緩和するというものである。呼吸ぐらいでどうにかできるもんなら麻酔なんて要らないと思うのだが、日赤は無痛分娩否定派の自然原理主義であるがゆえに、他に痛みを緩和する策もない。大人しく呼吸法をマスターするしかないのである。

おしるしの色はRGBで指定してほしい

翌日(つまり出産当日)、借りてきたソフロロジーのCDを聴いてみた。エレベーターで流れているかのような環境音楽をバックに、中年男性のナレーションが入っている。「それでは森の中をイメージして、ゆっくりと息を吸って〜」だの聞いていると、新興宗教に入った気分になってきた。ほんとにこんなもんが効くのだろうか。半信半疑になりつつも、ぼんやりと耳を傾けていたところ、ソフロロジーの効果か瞼が重くなってきた。

ソフロロジー式分娩

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  • アーティスト: 松永 昭
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小一時間昼寝をして起きたのは15時半ごろ。起き上がってトイレに行くと、おりものシートにうっすらピンク色がついているではないか。これはもしや「おしるし」というやつではないか。雑誌などで読んだおしるしは、生理のような鮮血が混じっていたり、ピンクといった色だ。私のは桜の花びらのピンクをさらに薄めたような、本当に申し訳程度のピンク色である。

うーむ、これは本当におしるしなのだろうか。電球の色の加減でピンク色に見えるとか、尿がついただけでは…と何度も目を凝らしてみる。おしるしの色ってどんな色なんだよ、RGBで指定してくれ、と思って「おしるし RGB」で検索したのだが、そんな便利な色指定は特にないようであった。

早とちり破水騒ぎ

なぜ私がこんなに慎重になっているかというと、前に「早とちり破水騒ぎ」というのがあったらである。深夜にトイレに行った際、ドバッと水のようなものが出たのでこれは破水だと騒ぎ病院で診てもらったのだ。病院に着くやいなや車椅子で病棟に運ばれ、リトマス試験紙のようなものを膣に突っ込まれたが結果は陰性。破水だと思ったものはおそらく尿であった。つまり私は「おもらし」で来院し、深夜に看護師や医師の手を煩わせてしまったのである。穴があったらそのままブラジルに掘り進めたいというぐらいのミスである。そんなわけで二度も勘違いで来院という事態は絶対に避けなければならないのだ。

破水パニック、Mac故障とネットスーパーの危機

延々とおしるしの色を検索しているうちに、何やら股の間から生温かい液体がドバドバ出てきた。自分の意思で止めることができない。そして精液のような生臭い匂い。これは間違いない、破水というやつだ。ついに生まれるのだ。どうしよう、どうしよう。もうすぐ生まれるとわかってはいたものの、いざ破水してみると軽いパニック状態である。とりあえず床が濡れてしまうので、大きめの生理用ナプキンをあててタオルを股にはさんだ。

こんな緊急事態だというのにネットスーパーの宅配を頼んでいたことなどを思い出した。まずい。これから病院に行くというのに、宅配の人が肉や野菜が大量に入ったビニールを抱えて困惑する姿が目に浮かんだ。キャキャキャ、キャンセル!キャンセルじゃー!と慌てててPCを開いたが、ビービーというビープ音がして、画面が開けなくなっているではないか。おいおいおいおい!なんでこんなときに限って!いつもPCでログインしていたため、スマホの画面からだとパスワードが思い出せず即ログインできない。この時点で私のパニック度合いはタイタニックに乗っていたレオナルドディカプリオ級である。焦りながら「Mac ビープ音」などで検索して、対処法を検索しているうちに、破水の勢いがチョロチョロからドバドバにギアチェンジしてきた。もはや生理用ナプキンでは抑えきれない勢いである。

ネットスーパーのことは一旦忘れるしかない。とにかく病院に電話だ。ピンクのマタニティノートをめくって、震える手で日赤に電話する。「あの、あの、破水したみたいなんですが」と伝えると、「陣痛はまだきていませんね?」「どのくらいで病院にこれまですか?」と確認される。タクシーで行くと伝えて電話を切り、事前に登録していた陣痛タクシーで病院に向かうことにした。 

陣痛タクシー

事前に登録しておいた陣痛タクシーに電話してみると、「たぬ木様ですね。どうされました?」とコールセンターの女性が出た。電話番号でもう名前やら住所を把握するようなシステムになっているらしい。たしかに陣痛が来た妊婦は冷静に喋れないだろうし、電話番号だけで検索したほうが早いかもしれない。「あのあのあの、破水しまして!配車をお願いします」と早口でまくし立てる。5分で配車できるという回答を得たが、タクシーを呼ぶ前に出産セットを準備するのを忘れていたため、やっぱり15分後にしてもらうようにした。電話口でそんな悠長なことで良いのか、と思われていそうだ。一生に一度の出産だというのに、さっそくADHD特性全開である。

前日に「出産はまだまだですね〜」という会話をしたばかりの私は、出産セットの準備をすっかり怠っており、破水してからワタワタと下着などを詰め込んでいた。それほど下着やら靴下のバックアップを持っているわけではないので、服は後から詰め込めば良いと思っていたのである。完全なる誤算。これから出産する妊婦のみなさんは、私をしくじり先生として出産セットをばっちり準備していただきたい。

マンションの下に陣痛タクシーが来ており、運転手さんが笑顔で出迎えてくれた。タクシーに乗り込んでから夫にLINEで破水したと連絡すると、夫も慌てふためいている。果たして無事に出産できるのか。(続く)

出産体験記の続きはこちら

[日赤医療センター出産体験記②]前期破水で入院 - 38歳高齢出産ブログ